春日神社・田川:秦ノ千々姫 04

投稿日:

p6190742-2017-07-15-07-06.jpg

田川市宮尾町に「春日神社」があります。
ここはその名の通り、8世紀から藤原氏の荘園守護神としてあがめられてきた古社だということです。

p6190745-2017-07-15-07-06.jpg

古社とは言いながら、鳥居や境内の雰囲気は真新しく感じられ、補修整備が行き届いた感じがあります。

p6190755-2017-07-15-07-06.jpg

春日といえば「鹿」です。
本家奈良の春日大社では、鹿は神の遣いになっています。

p6190756-2017-07-15-07-06.jpg

これは藤原氏が、常陸の氏神を春日大社に勧請した時、鹿に乗ってやって来たことに由来しています。

p6190747-2017-07-15-07-06.jpg

そう春日神社といえば、「藤原氏」なのです。

p6190748-2017-07-15-07-06.jpg

神社のいたるところには、藤原氏ゆかりの神紋である「藤の紋」があしらわれています。

p6190750-2017-07-15-07-06.jpg

由緒によると、神社の鎮座は775年までさかのぼり、古くからこの地を治めた弓削氏が、常盤山と呼ばれた現在の場所に、藤原氏の氏神である春日大社(奈良市)から分霊を勧請(かんじょう)し、氏神の弓削大神と合祀(ごうし)したのが始まりだと云います。

p6190757-2017-07-15-07-06.jpg

祭神を見てみます。
「武甕槌命」は藤原氏が信奉する神です。
「天津児屋根命」は藤原鎌足が養子に入った先の中臣家の神です。
この二神はわかります。

「姫大神」は豊前に強大な王国を創り上げていた豊王国の卑弥呼、「豊玉姫」のことであろうかと思います。
そして「布都主命」と「豊櫛弓削遠祖高魂産霊命」(トヨクシユゲノトウソタカミムスビノミコト)は物部氏が祭祀する神です。

豊櫛弓削遠祖高魂産霊命とは高皇産霊神、いわゆる高木神が最も長い名で祀られているということになります。
この名は弓削氏が高木千々姫の子孫であり、ここで弓矢などの武具を扱う役職にあった一族であることを示しているようです。

p6190751-2017-07-15-07-06.jpg

またこの地は「饒速日尊」の降臨伝承地であるとも伝えられ、当初は「鷹」の神紋を有した物部系の聖地であった可能性が濃厚です。  
後に勢力を誇った藤原氏によって、祭神が加えられたものと思われます。

p6190753-2017-07-15-07-06.jpg

田川は「鷹羽」が名の由来と聞いていますが、あるいは千々姫の「栲幡」(タクハ)が鷹羽となり、祭祀と武勇で知らしめた物部族のシンボルとなっていったのかも知れません。
渡来の王「饒速日」は国を捨て、帰化して生涯を終えた地が日本でした。
その土地に母親の名を付け、ここが我らが祖国だと、一族の者たちに指し示したのではないかと、風そよぐ里に思いを馳せました。

7件のコメント 追加

  1. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110
    何度読んでも、読むにつけ、ジワジワ来ます。

    弓削氏はwikiで見る通り、主に天神系、物部系があります。
    物部系は物部守屋が母姓を仮冒して弓削大連と称して以降、その子孫が弓削氏を称したとされる。とあります。
    つまり後年のことですね

    でもここは春日系の神社
    宮下文書では、物部とヒボコと中臣家が徐福の前から繋がる同じ家だよという話で、下手すると物部だけの系譜を並べてウガヤフキアエズ朝としている可能性があります

    そうすると、弓削高木神の名前の弓削の付け方が全くもってしておかしい

    更に、諏方祭司体が、南からか関東からと考えた場合、群馬や栃木あたりに弓削神社があったりします

    房総の阿波の実態が国造家からすると、大彦系のカシワデ臣家だったりして忌部氏の実態が掴めない神社があるんでしたっけ?

    しかし伊勢には忌部氏はいた可能性が高いとなると、この神社謎すぎますww

    確か、諏方の考古学の権威である藤森先生の本にも諏方祭祀体制は、七世紀以降
    下社の中心とも言われる長野県の安曇氏も六世紀より前には遡れないとあります
    謎すぎる

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      確かにここは、違和感だらけの神社でした。おそらく色々と書き換えがなされているのでしょう。
      道鏡全盛の時あたりに、書き換えがなされた神社があるのかも知れません。

      いいね

  2. 不明 のアバター 匿名 より:

    narisawa110
    弓削氏は謎があり、調べると忌部氏とも物部氏とも受け取れるんです
    なので、物部氏の母系が忌部氏で弓削の名前が入るというのはそう言った事情があります。

    忌部氏の系図は、カミムスビ、タカミムスビがあり、途中で習合しますが、タカミムスビの系図には、ミカツボシ(カガセオ)と、タクハタチヂヒメが二重に入り、忌部氏側からは弓削氏も名乗れる系図になってるんです

    いいね: 1人

    1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

      その忌部氏の系図がどこまで信用できるかわかりませんが、そうであれば、物部の血も引いていることになりますね。
      忌部とは一体なんだったのだろうか。

      いいね

      1. 不明 のアバター 匿名 より:

        narisawa110
        天神系譜は正直インチキだらけの誰が言い出しっぺかもわからない系図です。
        ただ、編集長のおっしゃる通り、東征の際に物部氏として振る舞ったという事は、系図からもわかる気がします。
        本来あり得ない所に物部氏が差しこまれています

        ただし、どちらにせよ祖神がカミムスビとタカミムスビであるならば、少なくとも富家と、物部氏の分家にしかなってない系図ではあると思われます。

        さてはて、物部氏のフリをしたのは出雲においてなのか、四国においてなのかは重要な点かと思います。

        忌部氏には物部に同調した忌部と、やられちゃった忌部がいるはずです。

        九州においては弓削氏は物部氏であるならば、物部氏の分家が弓削氏を名乗り始め、忌部からは男子が養子入りした可能性がありますね。
        なんだか諏訪のお話みたい

        いいね: 1人

        1. 五条 桐彦 のアバター 五条 桐彦 より:

          似たような話が、あちこちであったのかもしれないですね😂

          いいね

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください